ビートルズのデビューが決まり、曲を録音する段階で、ジョージ・マーティンは誰をメインボーカリストにするか悩んだという。当時は特にリズム・アンド・
ブルース系やドゥーワップ系のグループなどでは、「リードボーカリスト&バックコーラス、又は、リードボーカル・ウィズ・バックバンド」という形式が多かったためである。その他、スターを1名プッシュして売り出すという目的もあった。マーティンは当初は声質やハーモニーパートから、ジョンをリードボーカルとして押し出すつもりであったが、ポールの高い声質の歌唱力も捨てがたく、結局ジョンとポールの2人を押し出すことに決定した。デビュー曲は「ラヴ・ミー・ドゥ」で
イギリスではそこそこのヒット曲だった。また、英国での2回目のシングルレコードのプリーズ・プリーズ・ミーのNo,1ヒットから英国ナンバー1のグループになる。また、英国でのデビュー
アルバムのプリーズ・プリーズ・ミーもイギリスで30週間ナンバー1の記録を達成している。この記録は未だに誰からも破られてはいない。そして、彼等のセカンドアルバムの「ウィズ・ザ・ビートルズ」が発表になり、このアルバムもまたイギリスで「プリーズ・プリーズ・ミー」に替わり22週間の間ナンバー1になり、ほぼ1年に渡りイギリスのアルバム
チャートの1位を占領した。 また
アメリカでのデビューシングルの「抱きしめたい」がアメリカでナンバー1になり大成功して以降、大ヒット曲の連発で、ポピュラー音楽の歴史が彼等によって塗り替えられて行く事となる。また、「抱きしめたい」のシングル盤は世界で1200万枚以上の売り上げがあり、歴代でも世界のトップクラスのセールスを記録した。アメリカでは、次作のシングル「キャント・バイ・ミー・ラブ」が予約だけで210万枚になった。またイギリスでも予約枚数が100万枚になりギネス・ブックには最も予約枚数があったレコードとして記載されている。 また、ボーカルの方面では「シー・ラヴズ・ユー」「抱きしめたい」などの、ジョンとポール二人で歌っているうちの、「どちらがリードボーカルのメロディーなのかわからない曲」や、「ア・ハード・デイズ・ナイト」などのように「1曲の中でソロパートとして、2人が歌い分ける曲のパターン」、「エイト・デイズ・ア・
ウィーク」「デイ・トリッパー」などのように「最初はジョンやポールがリードボーカルだが、いつの間にかハーモニーやバックコーラスに回り、リードボーカルが交代してしまうパターン」などの形態がある。
コンサートツアーの方はアメリカで大成功して以来、世界ツアーに行く事になる。1964年の
オーストラリア公演では、リンゴが扁桃腺炎の為、一時期リンゴの代役としてジミー・二コルがドラマーとして参加する。またリンゴが復活し、オーストラリアのアデレード公演の際、ビートルズがアデレード市のタウン・ホールに出現した時は30万人のファンがタウン・ホールに詰め寄せたという。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
<お役立ちブログ>
英語チャレンジャー日記英語勉強法10か条英語ブログ1日1分カナダとアメリカ観光新TOEICに挑戦!TOEIC 対策トーイック
posted by koguam041 at 16:14|
日記
|

|